人間的な、あまりにも人間的な

ニーチェへ ごめんなさい

妻帰る

妻が帰ってきました。   パソコンね

修理中は本当にやることがなくていかにパソコン(インターネット)依存していたかを思い知らされ、ひたすら寝ていました。

 

結局修理費は3万円ほど。ちょうど1週間くらいの修理期間で、頭を冷やした妻は4日に我が家に帰ってきました。

さてインターネットという煙草が帰ってきたので受け取るが早いかパソコンを起動。

 

 

めっちゃ静かだ。無音に等しい。というかパソコンはここまで静かなのか。そう感動する反面自分のパソコンはかなり深刻な状態だったのかと思った。なんせ4年半メンテナンスも何もしてないしね・・・

熱落ちもせずファンがフォオオオオオオオオオオオオと叫ぶわけでもなく平和な家庭が戻ってきたのであった。続かない

俺たち、もう終わりなのかもな

4年半付き添った彼女と別れました。






4年半付き添った(付き添っている)パソコンが悲鳴を上げている。

熱落ちの頻度が僕の1日のトイレ(大きいやつ)(僕は便秘である)の回数よりも多い。ちょっと負荷がかかるとすぐフォオオオオオオオオオとけたたましくファンが鳴り、バチンという音と共にブラックアウトするディスプレイ。

その「ちょっと」というのが、某笑顔動画や、Broadcasting Yourselfだとかその動画を見る程度である・・・いつから僕のパソコンはこんな「ちょっと言いくるめると逆ギレして手当たり次第にものを投げつけてくるヒステリー嫁」みたいなことになってしまったのか。少なくとも買ってから4年は亭主に黙ってついてきてくれる「できすぎた女房」だったではないか・・・


思い当たる節がないわけではない。去年の11月下旬である。感情の制御が苦手だと書いたことがあるが、その制御できなかった感情の矛先が彼女に向いたのである。

ある時パソコンとは何ら関係のないことでイライラが頂天に達し、思わずパソコンを思いっきり叩いてしまったのだ。それ以前は恐らく妻に、しかも妻とはなんら関係のないことで、手を上げるような愚行には走らないよき亭主であったはずだった。

自分に落ち度はない案件で暴力を振るわれる妻、今まで「優しい夫」であった夫に叩かれる妻、ブラックアウトするディスプレイ。そしてそこから我々の夫婦関係がこじれていったのだ。ちなみに最初は熱落ちなどはなく、なんか前に比べてカクカクすんなー程度であった。

しかし日を追うごとに露骨に調子が悪くなっていくパソコン、高校野球のサイレンかというくらいのファンの音、そして頭に血が上った挙句倒れる妻、口を開けば夫婦喧嘩、我々の結婚生活も限界に近づいていった…


さてさすがにあまりにもひどい上に、今新しいパソコンを買う余裕なんてない苦学生としてはやはり修理してもらう以外に選択肢はなかった。と言うよりも、さすがに4年半使っている上に、大学を卒業まで使うと6年である。大学卒業と同時に買い換えるつもりでいたし、さすがに修理明けから1年半はがんばってくれるだろうという見通しから、急場凌ぎとしての修理を選んだわけだ。というかsurface3高すぎませんか?

僕「パソコンが恐らくうまく排熱ができないために落ちるんですけど・・・」

サポートセンターのお姉さん「それでしたらファンの不具合かもしれませんね、異音もあるということですし」

ファンの異常ならまだ修理代は安く済むだろう、と思ったが

サ「ですがマザーボードの異常となりますと修理代は○万くらいになるかと」

母の存在を忘れていた。そもそもパソコンがいきなり落ちるという異常現象にマザーボードが関係していないわけがない。偉大な母の存在を忘れていた僕は思わず電話口で修理代を聞き直してしまった。


さて前述のように、新しいパソコンを買うよりも修理に出したほうがその場凌ぎとしてはそちらのほうがよいと考えた僕は、修理代をどう工面しようかと考えつつも修理に出すことを決意した。妻が実家に帰っていく。そのことを意識した僕はどんどん精神が滅入っていく感覚に襲われる。

大学生活においてパソコンという存在は本当になくてはならないものだ。レポートやプレゼンのスライドの作成、履修登録まで、パソコンなしでは大学生活を送ることは不可能ではないだろうか。いや、図書館行けばパソコンあるけど。

と、一通り綺麗事を述べたが娯楽のほとんどがパソコンに集約されるのだ。睡眠時間よりも自宅で学習以外の用途でパソコンを使っていることのほうが多い。その娯楽が一時期とはいえ消えるという事実を前に僕は絶望を感じた。


パソコンは今日引き取られ、1週間から10日ほど帰ってこない。妻も夫もその期間、お互いに頭を冷やすべきなのかもしれない。円満な夫婦生活のためにも。

火星にて大地を想う わけではなく富士登山に行ってきた

というのももう2週間ほど前になるが、富士山に登ってきた。友人が登るというのでそれについていった形ではあるが。

生まれてこのかたインドア派といえば俺、のような生活から一転、山に登るというのだから驚きである。しかも日本で一番高い山。

 

さて富士登山というのも準備が必要でこれを怠れば命を落とすことになりかねない。(というか「あ、これ準備してなかったら死んでたな」という場面に何度も遭遇した)

というわけでまずトレッキングシューズを購入。前述のようにアウトドアとは無縁な生活をしてきたわけだからトレッキングシューズの値段を見てびっくりした。とりあえず1万5000円ほどのものを購入。靴下もどうやら専用のものが必要らしい。これも購入。2000円。

素手に丸腰というわけにはいかないのでザックも購入。正直これは失敗であった。

今回の富士登山は日帰りだったのでそこまで荷物が大掛かりになり得なかったのだ。そんな中で僕が購入したザックは80Lのザック。・・・アホか。5000円、これは安く買えた。ストックについては予算の都合もあり、また金剛杖を購入するために見送った。

 

ここから長くなります。

続きを読む

2ヵ月放置してたんだって

感情の制御が苦手だ。まずこんなこと言っている時点でお前はいくつなんだと問われるかもしれないが。

頭に血が上りやすくてそれを制御できない。落ち込むことがあるとそれをズルズル引きずり制御できない。

 

さて2ヵ月放置していた理由としては時間がなかった・・・のも少なからずある。

単純にネタがないだけだ。学校と家の往復で何が書けるというのか。偉大な文豪なら何か書けるかもしれない。

 

親という存在が最近になって思った以上に大変だなと感じることがある。それは子どもを養っていくために莫大なお金が必要という、財産の話だけではない。

子どもができることによって自分に使っていたはずのお金の大部分が子どもに吸い上げられていくのだ。その心労というのはいかほどのものなのだろうか。

確かにほとんどの場合子どもが疎まれながら生まれたというわけではないだろう。とはいえ、それまでのお金が自分に回ってこなくなるのだ。例えば自分の趣味のために使ってたお金が、次には自分の趣味を充足させることができなくなってしまうわけだ。

もちろん僕は結婚もしていないし、子どももいるはずがない。その心境になるすべもない。しかし僕にとってのお金が僕でない人間に行き渡ってしまうその状況は、僕にとって耐えがたいことであるだろう。

 

自分のエゴイストぶりを思う存分書き綴っただけだった。また22歳児ぶりを悪い意味で発揮してしまった。しかし実際には自分の子どもは他人なわけではないのだからやはり惜しみなく投資することができるのだろうか。

いや、まず僕は子どもができるような状況になれるのかどうかが問題であるが。

つまり僕が言いたいことはそんな状況になる未来を想像あるいは創造できないことの悲嘆であると捉えてもらいたい。以上。

泥酔、暁に就寝す

昨日は週の真ん中にもなってないくせに朝帰りをかますといういかにもダメな大学生って感じで1日を終えた。

飲み会に行ったのだが、まあ途中で抜けて日付が変わる前後には帰れるだろうと思ってた目論見は脆くも崩れ去ったというわけだ。家についてさあ寝るぞってころには朝の5時半だった・・・

 

さて僕はお酒が弱い。そして酔うとすぐ寝る(らしい)。自分の家で一人で飲むならまだしも、他人の家で飲むとなると自動的にその他人の家に一泊してしまうことになる。

というわけで僕は基本的に他人の家では酒を飲まない。飲むとしても、まあ付き合いということでグラス1杯を本当にちびちび飲む程度である。基本的に居酒屋では烏龍茶を飲み、他の酔っ払ったメンバーに振り回されて疲れ果てるといった感じだ。

 

こういった風にお酒に弱いわけだから、面白いリアクションを求めるパーティバカ、良く言えば盛り上げ役(?)に酒を飲まされるわけだ。飲まされると言ってもまあいわゆる体育会系にありがちな「コール」ではないが。どちらにしろ、正直あれは本当にやめてもらいたい。というか、飲んだところで寝るだけだから面白いリアクションもクソもない。

飲まされる→酔う→寝る→居酒屋なら迷惑がかかる、他人の家なら泊まることになる

という感じで結局誰も得しない。そして僕はといえば「自分の限界を知っているくせに調子に乗って酒を煽り、自滅し、多方面に迷惑をかけた男」の烙印を押されてしまうわけだ。

体育会系にありがちな「コール」ではないと言ったし、まあ断ろうと思えば断ることもできる、飲ませる側も案外すんなり引き下がる。ただ、それ以降「こいつはノリが悪い」ということで疎遠というか、ギクシャクしたことがある。

幸い今回の飲み会?は飲む奴は飲む、飲まない奴は飲まないということでそれぞれの意思を尊重してくれる人間が集まったわけだが、やはりそういう「飲ませる」人間がいる場所は正直気が重い。吸血鬼が太陽の光を浴びて死んでしまうように、僕もアルコールを摂取すると寝てしまうのだ。

初夏の暴力

暑い。とにかく暑い。6月だというのに今これを書いている昼過ぎ、室温は30度を突破しようかという勢いだ。僕の家は日当たりが良過ぎるほど良くて太陽の光をモロに浴びてしまう。吸血鬼じゃなくても死んでしまうのではないだろうか。家探しにおいて日当たりというのは重要なファクターではあるが、良過ぎるのも考えものだ。

そんなわけで朝方、室温が30度を超えるのはザラ。去年は確か朝の8時ごろに室温40度オーバーを記録してしまった。夏になると毎朝死と隣り合わせというわけだ。

幸い僕は昔とある野球チームに所属していて、炎天下の中水も満足に飲めないまま白球を追いまわしていた時期があり、ある程度鍛えられているのか熱中症になったことは一度もない。家でエアコンをつけてゴロゴロしているだけだからそりゃならないだろうけど。

まあともあれ今年もまだ6月。まだまだ暑くなりそうなので水分補給などは怠らないようしたい。

 

なんだこのブログは、「炎天下を上手に過ごす方法」みたいな記事になってるぞ。

 

暑いとやる気がなくなるという言い訳を盾にして今日は昼前まで布団でゴロゴロし、たまった洗濯物を洗って干すくらいしかしていない。

ここ最近ずっと日曜日の夜8時あたりに「ああ、今週も週末を無為に過ごしてしまったな」と絶望し、月曜日からの授業に臨んでしまっている。「いい休日を過ごしたな、明日から授業頑張ろう」という気概で週明けに臨んだことは恐らくない。あったとしても記憶から抜け落ちているのだから随分前である。

 

休日というのはどう過ごすのが正解なんだろうか?多分答えは出てこないし、相対的なものだろう。ここ最近の休日は昼前まで寝ていた・・・それ以外に何をしたか全く思い出せない。薄っぺらい休日を過ごしている。

 

ある意味それはそれで充実しているのかもしれない。良く言えば「休む」ということを忠実に行為しているわけだから。物は考えよう、ということだろうか。じゃあ僕は休むという行為を忠実に行うことにしよう。

お前は今まで放置してきたブログの数を覚えているのか?

突然だけどブログを書く。だがタイトルのように僕は今まで結構な数のブログを開設し、そのたびに放置してきた。

よってこのブログもいつまで続くだろうか。

 

という初っ端から周囲を不安にさせておいてまでブログを開設した理由。個人的には結構大きな理由なのだが。

 

一つは「自分のモラトリアムをよりよいものにするため」

…と書くと「意識高い学生」というように思われがちであるが、例えば普通の大学生のモラトリアム充実度(特にいい言葉が見つからないのでこう書く)を10とすると、僕は1にも満たないだろう。

寝て起きて大学に行き、たまに授業をサボってやることといえばスマホで時間を潰す、あるいはゲームするだけである。

どんなおバカなことでも(冷蔵庫に入り込んだりはNG)何かやらねば日記を書けない。日記を書けないと結局放置だ。今までのブログもそうやって放置してきたに違いない。

 

二つ目は恥ずかしながら「寂しい」ということだ。

取り立てていいところもない冴えない大学生、そして一人暮らし。そりゃ寂しくなりますわな。

こうやって文章を書くことで日常の出来事を噛みしめるという行為は少しでも寂しさを紛らわすことになるだろうと考えたのだ。

多分間違ってる。

 

まあ他にも理由はいろいろあるのだが、書き始めると気持ち悪いことになるに違いないのでやめておく。

言ってしまえば自慰行為だ。まあブログなんてそんなもんだろうという気持ちでやっていこうかな。