人間的な、あまりにも人間的な

ニーチェへ ごめんなさい

火星にて大地を想う わけではなく富士登山に行ってきた

というのももう2週間ほど前になるが、富士山に登ってきた。友人が登るというのでそれについていった形ではあるが。

生まれてこのかたインドア派といえば俺、のような生活から一転、山に登るというのだから驚きである。しかも日本で一番高い山。

 

さて富士登山というのも準備が必要でこれを怠れば命を落とすことになりかねない。(というか「あ、これ準備してなかったら死んでたな」という場面に何度も遭遇した)

というわけでまずトレッキングシューズを購入。前述のようにアウトドアとは無縁な生活をしてきたわけだからトレッキングシューズの値段を見てびっくりした。とりあえず1万5000円ほどのものを購入。靴下もどうやら専用のものが必要らしい。これも購入。2000円。

素手に丸腰というわけにはいかないのでザックも購入。正直これは失敗であった。

今回の富士登山は日帰りだったのでそこまで荷物が大掛かりになり得なかったのだ。そんな中で僕が購入したザックは80Lのザック。・・・アホか。5000円、これは安く買えた。ストックについては予算の都合もあり、また金剛杖を購入するために見送った。

 

ここから長くなります。

 

そしていよいよ登山の日である。当日の朝は若干雲が多かったが日が高くなるにつれ雲は切れてゆき絶好の登山日和であった。

富士登山には4つのルートがあり、我々は最寄りのルートである吉田ルートから登ることにした。

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こんな感じで富士急河口湖駅に到着。ここでいきなりシャトルバスの切符を買い忘れる事件が発生。慌てて買いに行く。前途多難である。

 

僕は乗り物酔いが激しいので酔い止め服用であってもバス内では大人しくしていたのだがバスが山奥に入り、そして雲を抜けた瞬間は本当に壮大であった。はるか上空にすじ雲がわずかに点々とするのみで青空がこれでもかという風に主張していた。撮影できなかったのが本当に悔やまれる。乗り物酔いを呪う。

 

さて5合目に到着。こんな感じで高速道路のサービスエリアというか、もっとその気になった気分で言えば「冒険者のギルド」というか、そんな感じである。8月も終わり9月だし人はそんなにいないのでは?と思っていたが結構な人がいた。これがピークだとどれくらいになるのだろうか・・・

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(一応モザイクを施しておいた)

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もちろん保全協力金は払った。

5合目に入って思ったのがとにかく寒い。9月といえばまだまだ残暑が厳しいがなんだそれはと言わんばかりの気温であった。

 

さて午前9時半、登頂開始。

当たり前だがスタート直後は楽なもので友人と軽口を叩きながら軽快なペースで進んでいた。もちろん後から絶望に叩き落とされるんだけどね。

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調子よく写真なんぞ撮りつつ登り続ける。もう少し雲があればまさに雲海という雲海を撮影できたのではないだろうか。

 

さて開始30分、いきなりトラブルが発生。「あれ?こんなにすぐ息あがるか?」という感じで休憩。

高地なのだから空気が薄いのは当たり前である。これから更に薄くなっていく空気を想像し一抹の不安がよぎる一行であった。

 

それからも適度な休憩を挟みつつ一応そう悪くないペースで進んでいく。

ただ、もちろん空気は薄くなっていくわけで僕が2度目の地獄を見る。

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この辺から足取りが重くなる。まだ6合目か?いやまだ6合目にすら達していないのか?

とにかく休憩をとるペースが早くなっていく。足も「いやもういいだろ」という感じで僕の歩みを遅くしていく。

とはいえお金の話をすればこの登山のために何万とお金をかけているのだ、引き返すわけにもいかない。そしてここで引き返せばやはり所詮は引きこもりのオタクか・・・ということにもなりかねない。

まだ序盤も序盤だがここは結構な正念場であると自分の中で歯を食いしばって登山を続けた。

何度も言うがまだ序盤も序盤である。前途多難にも程がある。

 

さてそんなこんなで(多分相当ペースは悪いのだろうが)進んでいくと6合目の中盤あたりから我々の見通しの甘さが露呈することになる。

我々一行は「まあ登山だから結構きついハイキング程度だろう」という旨の会話を交わしていた。

岩場である。ずっと砂地が続くわけがない。

砂地とは違ってこれは体勢を崩して落下しようものなら本当に命を落としかねない。「あ、これバランス崩したら死ぬな」と思えるほどの岩場を両手両足を駆使して登っていく。正直聞いてないぞこれはと思った・・・いや見通しが甘いだけである。

 

ただコツさえ掴めば最適なルートはどこかという課題を難なくこなすことができ、砂地の上を歩くよりかは楽であった。自分にとっては。

しかし友人が後にきくと「かなりきつかった」と言うようにこの岩場に手こずったようだった。実際僕自身も楽といえば楽だったがバランスを崩しかけひやっとした面が何度かあった。

 

さて岩場が続く6~7合目も後半に入り、ここから8合目まで一切の山小屋がないという区間に入る。もちろん最後の山小屋での休憩は念入りに取った。が、

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(後日「この写真ではすごさがわかりづらい」と言われショックだった)

立ちはだかる石の壁。同じく山小屋で休憩していた外国人が「Oh shit...」と発言していたのが印象的であった。ただ引き返すわけにもいかない。正直ここで死を覚悟したが進む。

しかし先ほども言ったが僕自身はそれほど苦労しなかった。自分にとっては休憩区間といったところか。

 

8合目。そろそろ大詰めである。そしてそれに比例して薄くなってくる空気、下がる気温。手がかじかんで水分をザックから取り出すのも一苦労である。

ここで問題が発生する。とにかく風が強いのだ。台風の強風域に入ろうかというくらいの風が砂を巻き上げ一向元々重い足取りをいっそう重くする。さっきの岩場でもなく、最初の雲海でもなくここで改めて自然の厳しさを教えられた気がする。

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この何もない感じ、まさに不毛地帯と呼ぶにふさわしい。自然の厳しさがよくわかる。そしてその自然に挑むことの厳しさもよくわかる。

8合目からの強風は先ほどの岩の壁と共に自然に立ち向かう人間への試練ではないかと感じさえした。が、お金がかかっているので引き返すわけにはいかない。とはいえこの辺で心が折れかかる。

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下界はのどかである。しかし天への道は熾烈を極める。

山小屋は基本的に宿泊者のみしか山小屋に入れてくれない。休憩する人間は外のベンチで休憩することになる。ただ強風のせいで休憩ではなくただ「ベンチに座るだけ」ということが8合目では当たり前であった。持参したおにぎりを食べるのも強風。「今どこだ?」と地図を取りだすのも強風。お世辞にも休憩とは言えない休憩を経て登り続ける一行。正直「なんでこんなところにいるんだ?」と何度も思った。

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肝心の蓬莱亀岩を撮影するのを忘れました。とりあえず石碑を撮影。

八大龍神については調べてみてください。ここでは説明を省きます。

 

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時代を感じさせる「ナショナル」。相変わらず強風である。

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いっそう「何もない」が増す。砂地であるために風で砂が巻き上がる上に6合目の砂地の件もあってここは苦労した。そして休憩のペースは早まる一方。友人に迷惑をかけっぱなしであった。

 

さて8合目から本8合目へ。もはやこの辺は覚えていないし、おそらく記憶から消したいのであろう。登山翌日も完全に頭から抜けていた。

自然の厳しさとか自分との戦いだとかそんな思考に至らずただ無意識に重い足が動き続けるのみであった。

そして最後の山小屋「御来光館」に到着。5合目で軽口を叩いていた一行はもはや存在せず、ただ無心で歩み続ける機械と化していた。相変わらず風が強い。何故ついていくと言い出したのか自分よ。

 

長めの休憩を取った後いよいよ頂上へ一直線、と言いたいところだがもはや心身ともに限界。重すぎる足取りはまさに牛歩である。

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雲海はきれいなんだけどね・・・

 

9合目は鳥居が目印でここを抜けるといよいよ山頂が見えてくる。

もう写真を撮影する気力もない。5分と歩き続けられないくらい身体は限界で空気の薄さも追い打ちをかける。

しかしあれだけ猛威をふるっていた風がぱったり止んだのである。ここまでくるとさすがに多くの登山者と出くわすこともなく(時間が時間というのもあった)、無音であった。自然の試練を与えたあとは己の精神力だけで登ってこいとでも言っていたのだろうか。

諦めようとも何度も思ったがその都度自分を奮い立たせて登りそしてついに・・・

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もう写真を取る気力がなくこれくらいしかない。

とにかく登り切った!朝の9時半に登り始め山頂にたどり着いたのは午後4時前。本当に疲れた。人生初の登山と、何度も心が折れそうになったがその都度立ちあがり最後までやり遂げたこともあってか涙が出ていた。

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雲海しか撮ってないじゃないか。

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もう9月ということもあって山頂の山小屋は閉まっていた。残念。

 

しばし余韻に浸る一行。しかし寒い。上着を着込んでいるとはいえなんだこの寒さは。そして火口などの写真も撮り忘れる。

 

しばし余韻に浸った後現実が待ち構えていた。下山である。こちらも「まあ空気も濃くなってくるし下り坂だからまだ楽だろう」と楽観的であった。

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こんな感じでつららなんかも撮影してさあ凱旋気分で下山だと思っていた。このときまでは。

 

 

僕個人としてはあの砂地の地獄より、強風よりもこの下山が一番苦しかった。

最初は良かった。お互いに感想など言い合ったりしながら降りていった。しかし徐々に口数も減っていった。

下山道が急なのである。そして急でかつ砂地であるがゆえに滑りやすいのである。そしてただひたすら往復するだけの単調な道。無限ループにハマったかのような感覚と、下山をはじめたのが4時半であったために沈みゆく太陽を見てどんどん不安になってくるのである。

そして足の親指で踏ん張るために水膨れができ、終わらない往復と沈む太陽を見て「早く日常の世界に帰りたい」と祈りながら下山していた。

 

太陽が完全に沈んだ時は友人がヘッドライトを持ってきたためになんとかなったがこれがなければ多分今こうやって日記を書けなかっただろう(死んでた)。

9合目、8合目、7合目、6合目・・・と段々楽になってくるはずなのに足取りは逆に重く、息もすぐあがり、あたりは真っ暗。逃げ場がなくいつ気が狂ってもおかしくなかった。

 

なんとか気が狂わずに7時15分ごろ、5合目に無事帰還。そしてレストランでカレーを貪りタクシーを呼び無事に家に着くことができた。タクシーで爆睡する僕。電車でも爆睡する僕。

カレーを食べている最中完全に憔悴し切った一行に一切の会話もなかったのが印象的であった。何せほぼ10時間上り下りする道を歩きっぱなしであったのだ。

正直、下山中は「家の布団で寝ている自分」が想像できなかった。無事帰宅できて本当によかったと思いながら潰れた水膨れに悲鳴を上げつつ眠りについた。もちろん翌日は全身筋肉痛。筋肉痛はよほどひどく自分の身体に鞭を打っていたのか階段の上り下りすらままならないほどであった。

 

さて閑話休題。実は奇しくも9月9日、スーパームーンが見られる日であった。後日思い返してみると雲の中から月が昇っていく光景は非常に美しかった。正常な精神状態の時に見たかった・・・もちろん写真を撮る余裕はなかった。

そして月が昇るにつれて暗くなっていく空、沈んでいく太陽。天上の世界で地上では何気なく見ていた昼夜の移り変わりを、あの忌まわしき下山道のために楽しめる余裕がなかったことが悔やまれる。

 

しかし登山中はさながら修験者であり心が洗われるというわけではないが、下山中は悪い意味で無心になりつつも登山中は天に向かっているという感覚があり人々が富士山の神格化や、あるいは山岳信仰が根付く理由がよくわかった。

「富士山を一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」という言葉があるが、どうやら僕は「二度登る馬鹿」になりそうである。そのときは今回以上に念入りに準備しておきたい。特に身体面を。

「山小屋予約したほうがいいよな」とお互いに言う日帰り登山であった。 終