人間的な、あまりにも人間的な

ニーチェへ ごめんなさい

2ヵ月放置してたんだって

感情の制御が苦手だ。まずこんなこと言っている時点でお前はいくつなんだと問われるかもしれないが。

頭に血が上りやすくてそれを制御できない。落ち込むことがあるとそれをズルズル引きずり制御できない。

 

さて2ヵ月放置していた理由としては時間がなかった・・・のも少なからずある。

単純にネタがないだけだ。学校と家の往復で何が書けるというのか。偉大な文豪なら何か書けるかもしれない。

 

親という存在が最近になって思った以上に大変だなと感じることがある。それは子どもを養っていくために莫大なお金が必要という、財産の話だけではない。

子どもができることによって自分に使っていたはずのお金の大部分が子どもに吸い上げられていくのだ。その心労というのはいかほどのものなのだろうか。

確かにほとんどの場合子どもが疎まれながら生まれたというわけではないだろう。とはいえ、それまでのお金が自分に回ってこなくなるのだ。例えば自分の趣味のために使ってたお金が、次には自分の趣味を充足させることができなくなってしまうわけだ。

もちろん僕は結婚もしていないし、子どももいるはずがない。その心境になるすべもない。しかし僕にとってのお金が僕でない人間に行き渡ってしまうその状況は、僕にとって耐えがたいことであるだろう。

 

自分のエゴイストぶりを思う存分書き綴っただけだった。また22歳児ぶりを悪い意味で発揮してしまった。しかし実際には自分の子どもは他人なわけではないのだからやはり惜しみなく投資することができるのだろうか。

いや、まず僕は子どもができるような状況になれるのかどうかが問題であるが。

つまり僕が言いたいことはそんな状況になる未来を想像あるいは創造できないことの悲嘆であると捉えてもらいたい。以上。